世界農産物市場の低迷

日本が貿易自由化にふみきったのは1960年のことであり、世界的にみてかなり遅れており、直接の数量制限に代る手段を導入するタイミングを失したという点があげられます。


アメリカのようにウェーバーによる自由化の義務免除を取得することはもはや不可能でしたし、かといってECのように可変課徴金の導入も真剣に考慮されませんでした。


ややイージーに、従来の残存輸入制限をそのまま続けられるだろうと考えていました。


ガットとの整合性いかんという問題は、当時の政策担当者の意識にほとんどのぼることがなかったのです。


さらに、70年代までの農業をめぐる客観情勢がそれを助長しました。


60年代までのガット・ラウンドは関税交渉が中心であり、農業は事実上交渉の将外におかれてきましたし、70年代に入っても世界的な農産物貿易の活況は、各国の非関税障壁をそれ程大きな問題とするにいたらなかったのです。


・・・以上が裏目に出たのが80年代であり、世界農産物市場の低迷、日米貿易不均衡の拡大という一般的背景の下で、日本農業における国境調整のあり方が国際交渉の場で根底から問われるにいたったのです。

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