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2010年09月 アーカイブ

オーストラリアの歴史 6

ブリテン諸島の抵抗と暴力も、同様にニューサウスウェールズに運び込まれていました。


膨大な人数にのぼる囚人の統制には困難が伴いました。


いきおい、犯罪に対する刑罰は、しばしば残忍な形をとるようになったのです。


1820年代半ばにニューサウスウェールズで犯罪を犯し、有罪となった者の中には以下の罪人がいました。


ジェイムズ・ファロス

・・・警官の前で強盗を働いた事実を自白し、その後法廷の場ではこの自白を否認したにもかかわらず、盗品の隠し場所を白状するまで、毎朝苔打ちを続けるという判決を下されました。


この結果、彼は時計を1個手放しました。


ジェイムズ・ブラックバーン

・・・賭博仲間の4人の名を自白するまで刑務所に拘留され、パンと水のみの食事をあてがわれ、毎朝2
5回の苔打ちを受けました。


ウィリアム・アール

・・・サミュエル・マースデン牧師所有の領地の掃除人であったが、ダグラス博士に渡す為に、ジョン・ドゥラッシュから託された完全赦免状を隠匿しました。


この赦免状の隠し場所を告白するまで、パンと水のみで牢につながれました。

オーストラリアの歴史 7

最も凶悪な囚人達は、ポートマックワリ、モレトンベイ、ノーフォーク島、ポートアーサーといった、過酷な条件の刑務植民地に送られました。


ニューサウスウェールズのダーリング総督、タスマニアのアーサー総督の下での生活は、ほとんどの囚人にとって困難を極める生活でした。


入植の拡大に伴って必要とされた道路や橋を建設する公共事業で働く囚人達は、1本の鎖につながれました。


逃亡に成功した囚人達は、山賊となります。


あまりに山賊の動きが目立ったため、ニューサウスウェールズ立法議会は、1825年までに、植民地各地で山賊団を組んでいた大胆不適な盗賊達の動きを封じるため、「迅速かつ断固たる手段」を講じる旨を、満場一致で決議しました。


「ボールド・ジャック・ドノホー」は最も悪名を馳せた盗賊の1人です。


1823年、ダブリンに生まれたドノホーは、「重罪を重ねた」ため有罪を宣告され、1825年にオーストラリアにやって来ました。


1827年から1829年にかけての2年半、ドノホーと脱獄者仲間の一味はバサーストからヤスにかけて、またイラワラからハンターバレーにかけてニューサウスウェールズをさまよい歩きました。


1830年9月、彼はチャンプベルタウンで警察官の弾丸に倒れました。

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