オーストラリアの歴史 4

その他の囚人達は、工業化が始まると間もなく生じた、反社会活動という直接的な抗議活動に加わって流刑を宣告されていました。


1812年から1822年にかけておこったラッタイトの反乱では、雇用条件に対する抗議の手段として、機械を打ちこわすという過激な事態にまで発展しました。


その結果、55人の労働者が流刑を宣告されることになったのです。


ナポレオン戦争の直接的余波を受けた形で動乱がおこり、さらに160人の囚人が、ニューサウスウェールズとバンディーメンズランドに送られました。


流刑に処された「反逆者」の中でも、「トルプッドルの殉教者」達は最もその名が高いでしょう。


彼らは当時トルチェスターの農場労働者として働いていました。


1834年、町々では騒乱が続発し、役人達はこれが村部へも飛び火してくるのではないかという恐れを抱きました。


こうした状況の中で、6人は秘密の誓いをたてたために有罪を宣告されたのです。

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