オーストラリアの歴史 2
その結果、流刑者が氾濫するという事態に陥り、まだほんの小さな植民地でしかなかった1820年代、及び1830年代初めのオーストラリアに重大な影響を及ぼしました。
オーストラリアには、全部で160000人にのぼる囚人が移送されましたが、その3分の2は、1820年から1850年までの30年間に送られた囚人でした。
囚人の総数が増大したのみならず、1790年代以来減少傾向にあった、植民地人口に占める囚人人口の割合も、1820年代に入り再び増加に転じました。
刑法の改正により、オーストラリアに送られる囚人の中でも、とりわけ凶悪犯の人数が増加します。
極悪な前科のある者、最も長い刑を宣告された者はタスマニアに送られました。
しかし、ニューサウスウェールズでは1830年代に入ってからも、送られて来る囚人のほとんどが初犯者達でした。
おそらく、1815年から40年にかけては、犯罪のみに身をやつした者の数が以前より減少したのでしょう。
元囚人・メリッシュの「回想録」が1825年に出版されましたが、その中で彼が描いた囚人像はフィリップ総督を初めとする初期の総督達が描いていた常習的な町のこそ泥という、ステレオタイプ化されたイメージとは全くかけ離れていたものでした。